長嶋 茂雄(長島 茂雄、ながしま しげお、1936年2月20日 - )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督。読売ジャイアンツ終身名誉監督。日本プロ野球名球会顧問。血液型はB型。愛称は「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」「ミスター」「チョーさん」「燃える男」他。 154キロバイト (22,275 語) - 2019年4月3日 (水) 04:56 |
電通が作り上げたスター
>>3
電通じゃなく日テレ
テレビが普及して行った時代の日テレの売り物が巨人のホームゲーム全試合中継だった
3割30本30盗塁プレイヤーですけど
当時学生野球の方が人気があって六大学のスター長嶋が職業野球に!ってことでプロ野球の盛り上がりを作り上げたと言っていい選手だったから
バットを持つのを忘れてバッターボックスに入るという暴挙
巨人軍だからじゃないのか当時の人気は凄かったんだろ
>>15
逆だよ
長嶋人気が巨人人気に繋がった
サードゴロを一塁に送球したあと
手のひらで風を送って送球を加速
>>16
手をピラピラピラ~
逆に聞くけど野村克也が国民的スーパースターになってないのなんで
パリーグだったから?巨人じゃないから?
子供のヒーローになるタイプじゃなかったから?なんで?
>>24
そういうキャラじゃないんだよ
まーちゃんがスターだけど
新庄に実力と華を足した感じだな
>>35
新庄は少なくとも抜群の花とルックスだけはあったんじゃね
昔は巨人戦ぐらいしかテレビで放送されてなかった
それで思いっきり巨人びいきで巨人こそが大正義みたいな中継をするから
国民は巨人ファンになるしかなかったし巨人の選手はみんな紳士だみたいな洗脳もされてた
ただ関西地方だけは阪神戦を中継してたので同じように関西人は洗脳され
そうやって巨人と阪神が球界の二大勢力となった
>>42
戦前から東京六大学野球人気が沸騰していてね
野球人気はマスコミが作ったんじゃなくて読売新聞が野球人気を利用して
新聞を売ろうと職業野球を始めた
野球人気に乗っかった
しばらく東京六大学人気のほうが上だったけど六大学のスターだった長嶋を獲得して
プロで活躍するにつれて巨人人気が高くなった
(出典 baseball.sfc.keio.ac.jp)
まあでも野球の本場は関西で巨人も今ほど人気なかったからな
南海が希望球団だったのも分かる
>>43
南海なんてカッペ球団最初から希望球団じゃねーわハゲ
金なかった頃に飯や金くれてたからごっつぁんしてもらってただけwww
落合なんて消化試合での帳尻あわせが上手かっただけ
常に優勝争いしてる中で積み上げた長嶋とは比較にならない
>>58
それを言うとV9巨人は全試合雑魚狩りなんだから打つの楽だろ
3割ギリギリに300本ちょっとで数字が王と互角は持ち上げすぎ長嶋の凄さはそういう所じゃないスター性だろ
>>60
444本だ
大卒で40前に引退してるんだから十分すぎる実績だろ
記録の王、記憶の長島とか言われるが
記録で見てもまったく問題なくスター
>>81
868と444で記録は流石に違いすぎるだろスターとしては凄いけど
ホームランだけ比べてどうするの
長嶋58年初出場74年引退(16年)
王59年初出場80年引退(21年)
長嶋の1年目に全イニング出場で新人王
本塁打王と打点王の二冠、打率2位、最多安打、盗塁2位、単打2塁打ホームランで1位で3塁打は2位
>>87
もし幻のHRで踏み忘れたのが三塁じゃなくてホームベースだったら三塁打王も取ってた
昭和の話をするおじさんは笑われるよ
もうじき昭和生まれって聴いた子供が
「おじさんは戦争経験したの?」って真顔で聞かれる程昭和は遠い昔
>>94
何言ってんのお前スレタイからして長嶋がミスタープロ野球って言われはじめたの
選手時代からなんだから昭和の話するだろバカなの?
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